同じ研究室にいた仲間で集まって読書会をやっている。今はコロナ禍ということで、オンラインで行っている。2週間に1回くらいのペースで、1回にかける時間は2時間程度。アルジュン・アパデュライの『さまよえる近代』[i]を読んでいる。ペースはとてものんびりしていて、理解できないところがあるところは惜しげなく時間を使う。同じ本を複数人で読むのはとてもいい刺激になる。特にわからない部分に関して議論することは、理解を相当助けてくれる。
さて、時は遡り読書会で読む本を決めるという段階で、参加者の一人が『さまよえる近代』の名前をあげたのであったが、その時に私が考えていたことは「「さまよえるユダヤ人」みたいな本があったような気がするなぁ」ということであった。
試みに「さまよえる」で検索してみると、多くの「さまよえる」作品群を人類は生み出していることがわかった。ちなみに、最初に検索でヒットしたのは『さまよえるオランダ人』である。これはワーグナー作曲のオペラで、北欧の幽霊船伝説を下敷きにした作品らしい。この伝説とは、とある船が船員の神に対する冒涜行為によって、世界の終りまで海上を彷徨い続ける運命を背負うことになったというものだ。
さて、オランダ人はさまよっていたようだが、ユダヤ人はどうか。私の朧げな記憶通り、ちゃんと『さまよえるユダヤ人』という作品も存在していた。こちらは小説である。ウージェーヌ・シュー作のこの作品はフランスのとある新聞において1844年から1845年まで連載されていた小説であるらしい。私の手元にある角川文庫の小林龍雄訳『さまよえる猶太人』[ii]のあとがきによると、当時のフランスでは丁度新聞紙上に連載小説が載せられ始めた時期であり、この作品は大変な評判だったということだ。「『モンテ=クリスト』とともに、フランス大衆小説の雙壁と稱せられるもの」[iii]とまで書かれているのだから、大変な知名度を誇っていたのだろう。
さて、この「さまよえるユダヤ人」であるが、さまよえるオランダ人と同様に元ネタになった伝説があるようだ。これはヨーロッパに広く膾炙するもので、キリストに関連するものらしい。その伝説というのは、処刑場へ曳かれていくキリストを侮辱したあるユダヤ人が呪いを受けるというものだ。その呪いは、世界の終末まで彼はさまよい続けなければならないというもの。さまよえるオランダ人伝説も永遠に海上を彷徨うという宿命を背負っていたことを思えば、永遠の命というものはキリスト教圏においては一種の罰であるのかもしれない。
さて、さまよえるユダヤ人伝説に関しては適当な百科事典の類を引いていただければ、どんな伝説なのかはある程度了解できるのだが、この伝説に関しては芥川龍之介が短い文章を遺している[iv]。芥川といえばいわゆる「切支丹物」と呼ばれている作品群があるように、キリスト教に対してそれなりの思い入れがあった作家である。ちなみに私は芥川の「切支丹物」の中では「南京の基督」という作品が好きだ。救済は無く、世界は少女に対して残酷だ。
閑話休題。さて芥川の「さまよえる猶太人」は、ユダヤ人伝説の概要がわかりやすくまとめてあると同時に、それに対する作家の疑問と、その解答が記されている。文章の筋とは関係ない話であるが芥川の文章を読むと、改めて彼の読書量と探求心に驚かされる。彼だけではない。明治、大正、そして昭和と、文豪や文筆家と呼ばれる人々は皆読書家であった。
「基督教国にはどこにでも、「さまよえる猶太人」の伝説が残っている。(中略)古来これを題材にした、芸術上の作品も沢山ある」[v]と語る芥川はその例としてギュスターヴ・ドレの絵画や、マシュー・ルイズやウィリアム・シャアプの作品を挙げている。そして、もちろん上述したウージェーヌ・シューの名前も記されている。
芥川が「さまよえるユダヤ人」伝説に感じた疑問は2つある。1つは、「「さまよえる猶太人」は、ほとんどあらゆる基督教国に、姿を現した。それなら、彼は日本にも渡来した事がありはしないか」[vi]というものであった。16世紀に日本に伝来したとされるキリスト教[vii]は、豊臣秀吉の「伴天連追放令」から緩やかに始まり江戸幕府によって過酷なものとなった迫害までは一定数の信者を獲得していた。芥川は「ユダヤ人」が「東方」(ここでは中東地域を指しているが)にも姿を現した話が載っている文献を示し、「大名と呼ばれた封建時代の貴族たちが、黄金の十字架を胸に懸けて、パアテル・ノステル[viii]を口にした日本を、(中略)彼が訪れなかったと云う筈はない」[ix]とする。
彼の2つ目の疑問はキリストが十字架にかけられた際、彼に非礼を行った者はこのユダヤ人だけではないにもかかわらず、「何故、彼ひとりクリストの呪いを負ったのであろう」というものである。
さて、この2つの疑問に答えてくれる古文書を手に入れることに成功したというのであるから、芥川の情熱には舌を巻かざるをえない。ユダヤ人伝説に関する記録は「両肥及び平戸天草の諸島を遍歴して、古文書の蒐集に従事した結果、偶然手に入れた文禄年間の」[x]資料[xi]の中に存在していたという。
彼が抱いた第一の疑問は件の「ユダヤ人」は日本にも渡来していたことを示す記述によって解消される。文献には平戸から九州の本土へと渡る船の中でフランシス・ザヴィエルと邂逅していたことが記されていた。「もし筆者の言をそのまま信用すれば「ふらんしす上人さまよえるゆだやびとと問答の事」は、当時の天主教間に有名な物語の一つとして、しばしば説教の材料にもなったらしい」[xii]と芥川は書いている。
第二の疑問は、このザヴィエルとユダヤ人の問答から解答が示される。それは端的に表すならば、このユダヤ人は自分の罪を罪として認識したために罰を受けたということであるようだ。彼の古文書には次のように記されていたという。「えるされむは広しと云え、御主を辱めた罪を知っているものは、それがしひとりでござろう。罪を知ればこそ、呪いもかかったのでござる。罪を罪とも思わぬものに、天の罰が下ろうようはござらぬ。(中略)罪を罪と知る者には、総じて罰と贖いとが、ひとつに天から下るものでござる。」[xiii]
最後に芥川はベリンググッド[xiv]が唱えたという、聖書における「ユダヤ人」伝説の起源となる箇所を示し、文章を終えている。さて、私はこれを読み、わくわくしながら聖書の該当ページを開いてみた。伝説の元となったキリストとユダヤ人との一幕が描写されているに違いないと思ったのである。しかし、開かれたページにあったのは次のような予言めいた言葉だけであった。
「はっきりと言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」[xv]
「はっきりと言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。」[xvi]
「予言めいた」と上述したが、正確に言えばこれは予言のシーンである。エルサレムにおける死と復活をイエスが弟子たちに予言する場面での言葉であるからだ。正直なところ私が期待したのは伝説になったユダヤ人が実際にキリストに対して非礼を働くシーンであったので少し拍子抜けしてしまった。この予言に示された世界に神の国が現前するまで死なない者の存在という点に関しては、さまよえるユダヤ人伝説の重要な要素ではあるかもしれない。しかし、この文言だけで「さまよえるユダヤ人」伝説の起源と成すとは、べリンググッド氏も想像力逞しい御方である。ちなみに私の記憶が正しければ、『聖書』の中にこのユダヤ人が非礼を行う具体的なシーンはない。それはさておきベリンググッド氏。君は一体誰なのか。今一番私が気になっているのはそこである。
アパデュライの『さまよえる近代』から、芥川の「さまよえる猶太人」まで、随分遠いところまできてしまった。そんな私はさしずめ、さまよえる文筆家である。芥川のおかげで理解が進んだ「さまよえるユダヤ人伝説」。次はシューの『さまよえるユダヤ人』でも読んでみようかしらん。
[i] アルジュン・アパデュライ『さまよえる近代』門田健一訳、平凡社、2004年。
[ii] ウージェーヌ・シュー『さまよえるユダヤ人(上)(下)』小林龍雄訳、角川書店(角川文庫)、1951年。
[iv] 芥川龍之介「さまよえる猶太人」、青空文庫。初出は「新潮」、1917年6月。
[vii] 芥川龍之介「さまよえる猶太人」では「十四世紀の後半において、日本の南西部は、大抵天主教を奉じていた。」と書かれているが、キリスト教の日本伝来の時期に関しては諸説あるようなので一概に芥川の文章が間違いであるとは言いきれない。一般的な説では1549年に伝来したとされているため、本文章ではこの説をとった。
[ix] 芥川龍之介「さまよえる猶太人」、青空文庫。
[xi] 原文では「文禄年間のMSS.」。これは英語のMS.=manuscript(手稿、写本)を示していると考えられる。
[xiv] 筆者寡聞にて、該当する人物を探し当てることができなかった。無念である。
[xv] 「マタイによる福音書」、16章28節、『聖書』、日本聖書協会、2012年
[xvi] 「マルコによる福音書」、9章1節、『聖書』、日本聖書協会、2012年