2021年8月11日水曜日

偶然の読書と必然の読書

  時々、全く別々の文章に繋がりを見つけ、嬉しく感じることがある。繋がるといっても大した繋がりではない。ある小説のキーワードが別の小説でも多用されていたり、読んでいた小説の作者の名前が、偶然読んでいた雑誌記事に出てきたり、というような、繋がりと呼ぶことすらためらわれるような些細な繋がりである。

 例えば、今日見つけたのは四谷シモンと向田邦子の「繋がり」である。このあいだ本屋に寄った時、没後40年ということで向田邦子コーナーが展開されていた。私は、恥ずかしながらこの方の本を読んだことがなかったので、『眠る盃』(新装版、講談社文庫、2016年)というエッセイ集を買って帰ったのである。エッセイ集の感想は今日の記事の内容と関係がないので割愛する。(いつか書きたいですね。)そして今日、四谷シモンの自伝『人形作家』(中公文庫、2017年)を図書館で借りてきた私は、次のような文章を発見したのである。

 

「人形や手芸の出版で有名な雄鶏社に手紙を書いて、人形の型紙を送ってもらったこともありました。(中略)あとになって、このころの雄鶏社には向田邦子さんがいたことを知りました。」(『人形作家』、33頁。)

 

ただ単に、最近読んだエッセイ集の作者の名前が出てきただけである。この後に向田邦子についての文章が続くわけではない。それに彼女は有名な脚本家であるので様々な文章に書かれることはあるだろう、と言われてしまえばそうなのだが。それはそれとして、私はこういった小さな繋がりを見つけると嬉しい気持ちになるのである。

 なぜ嬉しい気持ちになるのか。それは、「運命」のようなものを感じられるからだと思っている。何気なく選び、読んだ本。その読書の連なりに些細な繋がりを発見した時、その偶然の行為が必然であったように感じられるのだ。私が『眠る盃』を買った数日後に『人形作家』を借りて読んだことは偶然ではない。それは、必然であったのだ。

子供じみた感性だなぁ、とは自分でも思う。

「運命」とは我々が関与できない大きな力を想定した言葉である。文章同士の「繋がり」を見つけ、必然を感じた時、私はそんな大きな力へ思いを馳せる。一体全体、どうしてこの本を読ませるように私を行動させたのだろう。それは単なる気まぐれで、お遊びかもしれない。あるいはとても重要な意味があるのかもしれない。どちらなのかはわからない。きっとそれがわかるのはもっと先のことだろう。いや、永遠にわからないかもしれない。私は本に目を戻す。次の繋がりを求め、読む。

2021年7月25日日曜日

「無題」(2021年7月25日)

 「いつまでツイッターを見てる気?」

「うーん。やる気が出るまでかな?」

「ツイッターを見てるとやる気が出るの?」

「ツイッターを見ててもやる気はでないんだなぁ。これが。」

「じゃぁ、なんでツイッターを見てるの?」

「一番手軽にできるから。」

「なにかを始めるにはエネルギーがいるもんね?」

「机に向かって文章を書き始めるのにどれほどのエネルギーが必要か知ってる?」

30キロカロリーくらい?」

「そんなちゃちなもんじゃないよ」

「じゃぁ、どれくらい?」

「ビッグバン3回分くらいだよっ!」

その瞬間私は宇宙が3回生まれ、2回滅びる感覚を思い出した。昨日の深夜010分にも感じていたあの感覚。感性の爆発、情動の暴発。脳のシナプスに電流が走り、古びた回路は爆ぜ跳び、赤や黄色や青の炎となって、生命の暗黒迷宮へ消えていった。迷宮ではミノタウロスを始めとする異形の怪物たちが跋扈し、世界表層でぬくぬくと暮らしている人間たちを脅かそうとあらん限りの力で唸り声をあげている。私の指がその唸り声を感じ取り、青い画面上に文字列として転写していく。これは世界創世の神話である。今この瞬間、私は世界を創造しているのだ!見よ!この美しく広大な大草原を!

「残念だけど、世界創造は失敗みたいね?」

「「美しく」、「広大」な大草原。なんとも陳腐な形容詞をくっつけたものだと、反省しているよ。」

「三島由紀夫だったかしら。「美しい女を描写するのは簡単だ。」みたいなことをどこかで書いていた気がする。」

「『文章読本』だったかな。とりあえず今日の創作は失敗だね。」

「今日も?」

私は何も言わずにベッドへ倒れこんだ。決して寝心地が良いとは言えないベッドは私の心も体も癒してくれない。しかし、睡眠は私を癒してくれるだろう。朝がやってくる。私は労働へ向かうだろう。私は疲れ切った身体と精神を引きずって橋を渡り、家へ戻ってくるだろう。月を見ながら。私は、少量の野菜と果物を食べるだろう。シャワーを浴び、顔に科学物質を塗り込むだろう。湯を沸かし、コーヒーを淹れるだろう。机の前に座り、パソコンを開くだろう。そしてまた文章を書くのだ。

2021年7月7日水曜日

本の「ジャケ買い」と装丁の美

 街をぶらついていた時、入ったことのない図書館を見つけたので寄ってみることにした。書架が織りなす道を歩いていると『視覚文化「超」講義』という本を見つけた。これは何年か前に本屋で見かけて気になっていた本だなぁ、と思い、借りることにした。分野としては「ポピュラー文化研究」。砕けた言い方をすれば「サブカル研究」である。

 研究の分野として気になっていた面もあるが、この本が私の目を引いたのは表紙によるところが大きい。背景の高さや広さを強調する特徴的なパース。恐ろしいほどの情報量。表紙のイラストを手掛けるのはJohn Hathway氏だ。

 アメリカ人のようなペンネームではあるが、日本人のアーティストである。「JH科学」というウェブサイトがあるので興味のある方はぜひ見てほしい。とてもキュートな作品が見れるはずだ。

 さて、John Hathway氏のイラストを始めて見たのは、「真空管ドールズ」というスマートフォン向けのゲームが最初であった。今はサービスを終了してしまっているが、2016年にリリースされたゲームで、「JH科学」の世界観を基にしたものだ。「真空管ドール」と呼ばれる人工知能搭載型アンドロイドが人々と一緒に生活する世界。ドールズの頭には真空管が一本、ちょこんとついており、それがとても可愛らしい。

 正直に言うと、「真空管ドール」で、John Hathway氏のイラストを見ていなかったら、彼が表紙を描いた『視覚文化「超」講義』に私が興味を持った可能性は低いと思うのだ。つまり、CDの「ジャケ買い」のようなものである。

 本も「ジャケ買い」で正しいのだろうか。「装丁買い」なのでは?とか思うのであるけれど、まぁ、かっこいいから「ジャケ買い」と言っておく。

 表紙のイメージが本のイメージと密接に繋がっている場合も少なくない。例えば私にとって村上春樹の初期3部作(『ダンスダンスダンス』を入れると4部作であるが)のイメージは佐々木マキ氏の表紙絵と紐づけられている。この間、大学時代の後輩に会った時に、彼が来ていたTシャツには『1987年のピンボール』の表紙絵がプリントされていたのだが、思わず「村上春樹好きだったっけ?」と聞いてしまった。よくよく考えてみれば表紙絵を描いたのは佐々木マキ氏なのだから、質問としては「佐々木マキ好きなの?」もあり得るにも関わらずだ。

 というわけで、本における表紙のデザインは結構重要だったりするのである。いや、表紙だけに限らないのだ。本全体のデザイン、そう、装丁の美しさというものがあるのである。そういえば、ちょうど今、日経新聞の朝刊には「装丁の美 十選」という、書籍の装丁についての連載記事が載っている。最近の私の楽しみの一つである。

本を読むだけではなく、見て楽しむ。たまにはそんな楽しみ方も良いかもしれない。ちなみに自分が所蔵する書籍の中で、最も装丁が凝っている本を一つ選ぶならば、人形作家天野可淡の作品が写真で収められた『KATAN DOLL THE BOX』だろう。茶色と黒のダイヤ柄の箱は中心から蓋が外せるようになっており、中には本が2冊入っている。背表紙は黒。金文字で「KATAN DOLL」と印字されている。深紅のベロアが貼られた表紙と裏表紙。布地の何とも言えない触り心地がとても良い。それは本を開き、めくっている時も、ずっと両手に感じられる。

 「見て楽しむ」と私は書いたが、この『KATAN DOLL』を開き、布張りの表紙と裏表紙を撫でてみると、この本が視覚だけでなく触覚も刺激してくれることに気づく。ジャケ買いの話をしていたはずなのに、本の触り心地にまで話が広がってしまった。そろそろ風呂敷がたためなくなりそうである。

 図書館で、書店で、本を手に取った時、私がなぜその本に手を伸ばしたのか、それを考えるのはとても楽しい。私が最初に興味を感じたのは?内容?題名?表紙?それとも装丁?どれに興味を持ったって、誰かに責められるわけではないのだ。たまには真面目ぶらずに本をジャケ買い、ジャケ借りしてみよう。予想もしていなかった素敵な出会いが待っているかもしれないのだから。

2021年6月26日土曜日

フレキシタリアンについて

 「ワインと肉料理は食べないようにしているの。だって、大好物だから。」

 ロシア留学中にお世話になっていた女性の言葉を思い出した。イトーヨーカドーの肉売り場でだ。何かと言うと「断食」の話である。ロシアでは正教徒の人が多く暮らしているので、春頃から街の食事処には「断食用」のメニューがたくさん溢れていた。「断食」と書いたが、正教会の断食は一般に思われている「断食」のように食事自体ができなくなるわけではない。食べられる品目が制限されるのである。肉や乳製品をふんだんに使って料理をするロシア人からすると、「断食」の時期に制限される品目は辛いものだ。だからこそ、キリストが味わった苦役を疑似的に体験するというこの行為が意味を持つのであるが。

 少なくとも私の生まれ育った環境で、自ら食事に制限を加える(病気で仕方なくというのは別として)という習慣は殆ど無かった。なので、信条として食事に制限を加えるという行為に私はとてもエキゾチックな印象を受けたものだ。

 最近は、ヴィーガンの活動や、SDGsへの関心の高まりから、日本でも食事を制限するムーブメントが広がりつつあるように感じる。その影響を受けてか、イトーヨーカドーの肉売り場で植物性のたんぱく質を使った代替肉が販売されるようになった。私が手に取った大豆ミートと印字されたシールが貼られたその商品。見た目は過熱後のひき肉を彷彿とさせる。なぜ私が大豆ミートを手に取ったかって?なんてことはない、ひき肉より安かったからだ。

 健康的な食事と経済的な要因に関して、とても昔に読んだ雑誌記事が印象的だった。雑誌の名前も、正確な年月も忘れてしまったので、とても昔の話だ。その記事では地中海に浮かぶ島(マルタ島だったと思う)の食事について書かれていた。その島では心筋梗塞の発生率が恐ろしく低く、平均寿命も高いという。蒸し野菜にオリーブオイルをたっぷりかけた食事がその理由だ。しかし、記事の最後でインタビューを受けた住民の男性は健康的な食事の習慣を作ったのは貧困という歴史であることを語る。食事に肉が少なく、オリーブオイル以外の調味料が使用されないのは、度重なる他国の支配によって島民が搾取されていたからだ、と。

 私の食事を支えてくれている動物は主に鶏さんである。鶏胸肉である。理由はシンプルで、一番安いからだ。悲しいかな、弱く小さな私は搾取される側であり、豚肉や牛肉を恒常的に、そして大量に摂取できるほど富める者ではないのである。

 というわけで、私が大豆ミートを手に取った理由は第一には経済的な要因に寄るところが大きい。だが、人間の行為は様々な要因の複合の上に成り立っているものだ。肉を食べないという選択に対して、反感が強ければ私は手に取った商品をレジへ持っていかず商品棚に戻しただろうと思う。私は試みに代替肉というものを食べてみることにしたのだ。それはやはり、自分の信条として食事に制限を加えるという生活をおくる人々の近くで暮らしていた経験がある程度影響していたと思う。

 結果から言うと、大豆ミートは美味しかった。そして自分の食事もある程度変化した。毎日飲んでいた牛乳は豆乳に変わったし、大豆ミートは定期的に購入している。鶏肉を買う頻度は減り、豆腐を買う頻度が増えた。なんとなく、肉を食べない生活もいいかなと思ったのである。

 しかし、肉は美味しい。時々肉が無性に食べたくなる。そんな時、私は我慢せずに肉を食べる。豆腐と大豆ミートで節約された幾分かの銭が少しだけ高いお肉に投下される。だいたい、私は強い信条や信仰があって準菜食主義的食生活をしているわけではないのである。ひとえに経済的な理由なのだ。(豆乳以外はもともとの食生活よりリーズナブルだ。)しかし、結果的にそれが環境にやさしい生活となっているなら、いいではないか。

 もしも私が本気で菜食主義者を目指すとしたらどうであろう。そこで立ちはだかるのは思想の問題である。食べていいものと食べてはいけないもの。食べるべきものと食べるべきではないもの。この区別は恣意的で、そして穿った言い方をすれば「傲慢」だ。埴谷雄高の『死霊』で、キリストと仏陀が食べ物に責められる場面があるが、私はこの呪縛を乗り越えることができないのだ。(しかし、持続可能な社会や環境への配慮という立ち位置に立てば?これは時間をかけて考える必要がありそうなので別の機会にまわそう。)

 というわけで、食事から肉の影が薄くなっていた今日この頃。自分では、断食中のロシア正教徒みたいだなぁ、となんとなく思っていたのだけれど、今の自分を言い表すのにぴったりな言葉を見つけたのである。それは「フレキシタリアン」という。

 私はコーヒーが好きなので「PostCoffee」という定額制のサービスを使って、毎月ちょっぴり贅沢なコーヒーを楽しんでいる。このサービスは一か月に一度、厳選されたコーヒーを3種類、ポストに投函してもらえるというものだ。アンケートから各人のコーヒーの好みを判定してもらえるので、自分に合ったコーヒーを届けてもらえる。届いたコーヒーにレビューをすれば、自分好みのコーヒーが届く確率は更に上がっていく。

 コーヒーと一緒に『POST』と題された小冊子が送られてくる。毎月、コーヒーに関する何稿かの記事が載っている。この記事の中で私は「フレキシタリアン」という言葉を発見した。記事の内容としてはあるロースターの方のインタビュー記事だ。その方が、「フレキシタリアン」[i]に挑戦していると言っていたのだ。

 「フレキシタリアン」。聞きなれない言葉である。これは、「フレキシブル」と「ベジタリアン」の二つの単語を繋げて作った言葉だそうだ。柔軟な菜食主義。極力肉を食べない食生活をしつつ、外食や特別な時には肉を食べるというライフスタイルである。

 そうか、私はフレキシタリアンなのか。かくして、私の生き方に外部から名前が与えられ、カテゴライズされる。それに少しだけ心地よさを感じている私を天邪鬼な方の私が嘲笑する。「嗚呼、なんという俗物!」

 

追記

本文内で出てきた「PostCofee」。コーヒーが好きな方にはオススメです。



[i] POST』、Issue15PostCoffee、9頁。実際は「フレキシタン」と記載されているが、「フレキシタリアン」という言葉の方が広く使用されているようなので、本文では「フレキシタリアン」という言葉の方を使用した。

2021年6月23日水曜日

「そうだ漫画を描こう②」

 そうだ漫画を描いてみようなどという記事を書いて、はや一か月。謎のイラストをあげたまま梅雨入りしてしまいました。

 さて、(最近気づいたのですが、この「さて」が私の書き癖のようですね)この一ヶ月間私が何もしていなかったと思ってもらってはいけません。端的に言うとこの一ヶ月間は「充電」期間だったわけです。などと供述しており

 本当はサボっていただけなのだけれども、言い訳してしまうのが人の常。まぁ、趣味の範疇で漫画を描こうと思いついただけなのでサボるも何もないのですけれど。そんなこんなで、のらりくらりと暮らしていた私。祖母の家から本を取ってくる機会があったので、前回の記事で書いた川崎昌平『労働者のための漫画の描き方教室』(春秋社、2018年)を回収し、再読していました。

 うろおぼえで、という話をしたとは思うけれども、実際に読んでみると内容をほぼ忘れていました。というか、この本のスタンス自体がごっそり抜け落ちた状態でした。

 この本の「はじめに」には次のようにあります。「本書は「労働者のため」に著された「漫画の描き方」の教科書であり、間違っても「漫画家になりたい人」や「漫画を上手に描けるようになりたい人」のために用意されたものではない。」[i]そして、この本のターゲットたる労働者は前提として「働くのに忙しい」。

 「働くこと」=「自己表現」である人間は幸福です。目標の達成、技術と能力の向上、計画と立案。労働で得られるものは少なくはないだろうし、それが生きることの一部となっている(それを信じ込もうとしている人も含めて)労働者はたくさんいるでしょう。しかし一方で労働は生きるための手段でしかなく、「労働に搾取されている」、「働くことに喜びを感じられない」と考える人もいるのではないのかしらん?この本は、後者のような労働者に自己表現の手段を得て、生活を少し豊かにするための提案であると思うのです。

 タイトルからもわかるように、著者は自己表現の手段として漫画を勧めています。理由としては、「道具などにそれほどお金がかからないこと、あまりにも高い技術的素養がもとめられないこと、真夜中などでもひとりでできること、できあがるまでにそこまで時間がかからないこと、つくった成果を他者と共有しやすいこと」[ii]を挙げています。

 本書は部構成になっており、第一部「内実編」で漫画を描くにあたっての心構えを詳述しています。第二部「技法編」では漫画を描く具体的な技法の説明です。第三部は「発表編」。ここでは、様々なツールを使った作品の発表方法や作品を発表するという行為の効用について書いてあります。

 さて、私が一番面白いと思ったのは三部のうち、第二部の「技法編」です。全体としてこの本の前提は、労働者は「働くのに忙しい」。つまり、自己表現に使うことができる時間が限られているということに尽きます。そのため、この「技法編」ではいわゆる漫画らしさを支えている技法や文法をどこまで簡略化、あるいは削ぎ落すことができるかという点に重きが置かれているのです。特に第6章「漫画を描くための応用技術」では「表情不要試論」、「感情不要試論」というように実験的にも思えるような考察が続いていきます。目指すのは商業漫画ではない、自己表現の場としての漫画である。自己表現とはつまるところ自己治療なのです。抑圧された感情を言語化し、形にし、外部へと表現すること。その行為を通じて、私たちの心は幾分か軽くなっていくのではないでしょうか。

 しかし、自己表現は続けていけなければ意味がありません。続けていくためには、表現の方法はできるだけ簡単で時間のかからないものが良い、というのがこの本を一貫するスタンスです。ただ、そのような目的を脇に置いておいても、この技法編で論考されている「~不要試論」はとても面白いです。なぜなら、今まで自分が漫然と読んでいた漫画にどれほど多くの文法とコードが詰まっているかを認識できるからです。(ちなみに漫画の構成要素や表現技法に関しては序章で「ゆっくり読む」ことで学ぶ方法に言及があります。)

 様々な構成要素を削り、簡略化してできた漫画は果たしてどこまで面白くなるのか。著者はまるで書きながら考えているかのよう。まるで、文学理論の古典を読んでいるような感覚です。「表現とは思考のための道具である」[iii]と、この本の中でも言及がありますが、まさにその通りで、私たちは著者の思考を追いながら、漫画を描き、自己表現するためのモチベーションを高めていくのです。

 さて、本を読みモチベーションを高めることなら誰にでもできるのです。問題は、それを行動に移せるのかどうか。果たして私は漫画を描くことができるのか?それとも、文章を書くという自己治療で満足してるしな、と言い訳して描かないのか。それはまた、別のお話。(つづく?)


[i]川崎昌平『労働者のための漫画の描き方教室』、春秋社、2018年、3頁。

[ii] 同上書、6頁。

[iii] 同上書、50頁。

2021年6月16日水曜日

かくして人々は骨に音楽を刻んだ。

 

 私は音楽の素養がないので、ジャズについても全くの門外漢である。しかし、ロシアに愛着があることもあって、本屋でロシア(ソ連も含め)に関する本があると分野がどうであろうと足を止めてしまうのだ。

 岡島豊樹『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』[i]は著者が収集した「メロディア社」のジャズLPをまとめ、その一つ一つにコメントを添えた、ソ連ジャズLPの図鑑とも呼べるものである。多くの文献や資料を収集したことが読んでいてすぐにわかるような本に目がない私は、ジャズを殆ど聞いたことがないにも関わらずこの本を衝動買いしてしまった。

 「メロディア社」はソビエト社会主義共和国連邦で1964年に発足した国営レコード会社であり、この会社から出たジャズLP400種類にも上るそうだ。この本は著者が収集した300余点のLPが「アンソロジー」「ジャズ祭」「個人・グループ」といった視点で分類されている。ちなみにソ連ジャズ文化研究に関しては鈴木正美氏という第一人者がおられるそうだ。私は早速、この本で紹介されていた鈴木正美『ロシア・ジャズ 寒い国の熱い音楽』を手に入れるべく、インターネットで検索をかけたのであった。

 結論から言うと、この本は手に入らなかった。値段が恐ろしく跳ね上がっている。どうしてだろうと首をひねる間もなく私はその理由に気づいた。この本は「ユーラシア・ブックレット」シリーズだったのである。ユーラシア・ブックレットとは東洋書店が2000年から出版していた書籍であり、主にロシア関連の研究を収めていた。2016年に発行元の東洋書店が倒産[ii]したため、このシリーズを始め、東洋書店の本は軒並み価格が上がっているのである。

 というわけで、とりあえずアクセスできる範囲で鈴木正美氏の論文などを読んでいた私。「1960年代のジャズ・フェスティバルと聴衆」[iii]という文章のなかで、面白いものを発見してしまった。それは「肋骨レコード」という。

 さて、「肋骨レコード」の話に入る前にソ連におけるジャズの歩みを簡単に説明する必要がある。ここで重要なのはソ連でジャズが認知され始めた1920年代からジャズが弾圧された1950年代までだ。

 『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』によれば、ソ連でジャズが広まったのは第一次世界大戦後、新経済政策(ネップ)の施行と重なる。富裕層を中心にダンスが広がり、その際に世界的に広がりをみせていたジャズも取り入れられたという。[iv]このように最初ジャズはダンスのための音楽とされていた。その後1930年代から40年代にかけてはアメリカの大衆文化がソ連の人々を魅了する。ジャズだけに限らず映画もどんどん輸入され、人々へ吸収されていった。「ディズニーによる世界最初のフルカラーのアニメーション『白雪姫』(1936)もソ連で上映され、挿入歌はすぐさまジャズの流行歌となった」[v]とされるように、この時期は文化的にも比較的寛容な時期であったようだ。第二次世界大戦時には前線の兵士を鼓舞、慰安するために、ジャズも利用されていた。

 しかし、第二次世界大戦後に状況は一転する。東西の対立が露わになるにつれ、ソ連国内ではコスモポリタニズム排斥運動が起こり、ジャズも「ブルジョワ的退廃の産物」として排斥された。この排斥は1950年代半ばまで続いた。「49年からスターリンが死去した53年の間はジャズと呼べるような録音はほとんどない。その後もしばらくの間は、わずかしかない。東西冷戦の長期化はジャズにとって足枷になってしまった」[vi]と岡島氏は指摘する。

 さて、スターリンの死後徐々にソ連におけるジャズ文化は復活していくのであるが、「肋骨レコード」が出現するのは、主にスターリンの弾圧の時代、49年から50年だい半ばまでである。そういえば全く関係ない話で恐縮だが夢野久作に「人間レコード」という短編があったな、とふと思い出した。「肋骨レコード」は夢野久作の短編のように猟奇的なもの、ではないのでご安心を。

 「肋骨レコード」とは、国家に禁止されていた音楽を聴くために一部の人々が編み出した手段であった。東西の冷戦が激化する中、アメリカの最新の音楽はソ連では手に入らなくなっていた。しかし人間、禁止されているものに魅力を感じる生き物なのである。LPレコードをそのまま輸入するわけにはいかないし、退廃的音楽のレコードを持ち歩いていることがばれればシベリア送りである。さて、どうするか。

 第二次世界大戦中、ソ連軍はドイツ軍に向けて戦意を喪失させるようなメッセージや音楽を吹き込んだレコードを大量に作り、飛行機から撒いていたそうだ。その録音機の流出品を使い、薄いプラスチック板に西側の音楽をコピーして商売する者が現れたのである。当時、最も手に入りやすいプラスチック板はX写真フィルムであったため、それにレコードを複写したのであった。まさにスパイ映画のような世界。X写真フィルムに音楽が彫り込まれていようとは誰が思うだろうか。かくしてアンダーグラウンドでこの闇レコードが取引され、熱狂的な音楽の求道者たちは、その渇きを癒していたのであった。

 「胸部のレントゲン写真はまさに肋骨レコードであった」[vii]と言われるように、これが名前の由来となっている。しかし、レントゲン写真は肋骨以外の写真もあるのではないかと思われる方もいるであろう。現に国内外で様々な呼び名があるらしいこの闇レコード。軽く検索した感覚で申し訳ないのだが、本場(?)のロシアだと、музыка на костях(骨の上の音楽)が一般的な名前のようだ。ちなみに日本では西野肇氏が生んだ呼称である「肋骨レコード」という名前が広く使用されているのだそうだ。彼は70年代から80年代にかけてモスクワ放送のアナウンサーとしてラジオDJを務めた人物である[viii]

 さて、この「肋骨レコード」であるが、スターリンの死後、文化的な引き締めが緩やかになっていくにつれ、その存在意義を薄くしていく。60年代に入ると国産のテープレコーダーも出現し、姿を消していったようだ。こうしてやっと1964年に辿り着く。ソ連で「メロディヤ社」が発足する。そうだった。初めに読んでいたのは『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』なのでした。

 というわけで、最近の私はこの本に紹介されているジャズミュージックを聞いている。インターネットの時代は便利なもので、私が登録している音楽のサブスクリプションサービスで、ソ連時代のジャズミュージックも聞くことができるのである。幸福な時代である。しかし私が気づいていないだけで、現代においても肋骨に刻み、人目を忍び、やっと享受できる娯楽や芸術があるのかもしれない。飽くなき人間の好奇心、そして情熱。ロマン溢れる「肋骨レコード」を知れたことに感謝を。



[i] 岡島豊樹編『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』、カンパニー社、2021

[ii] 現在ユーラシアブックレットシリーズの後継として群像社よりユーラシア文庫が出版されている。ただし、東洋書店が出版していた書籍の殆どは絶版状態。

[iii] 鈴木正美「1960年代のジャズ・フェスティバルと聴衆」、『スラブ・ユーラシア研究報告集1』、北海道大学スラブ研究センター、2008年、4758頁。

[iv] 岡島豊樹編『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』、カンパニー社、2021年、8頁。

[v] 鈴木正美「1960年代のジャズ・フェスティバルと聴衆」、48頁。

[vi] 『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』、9頁。

[vii] 1960年代のジャズ・フェスティバルと聴衆」、50頁。

[viii]「【レコにまつわるエトセトラ】肋骨レコード 音楽への渇きが刻む、美しき闇レコードの世界【第14回】」、my soundマガジン、https://mag.mysound.jp/post/6012021616日最終閲覧)

2021年6月12日土曜日

アルジュン・アパデュライ『さまよえる近代』から芥川龍之介「さまよえる猶太人」まで。

 

 同じ研究室にいた仲間で集まって読書会をやっている。今はコロナ禍ということで、オンラインで行っている。2週間に1回くらいのペースで、1回にかける時間は2時間程度。アルジュン・アパデュライの『さまよえる近代』[i]を読んでいる。ペースはとてものんびりしていて、理解できないところがあるところは惜しげなく時間を使う。同じ本を複数人で読むのはとてもいい刺激になる。特にわからない部分に関して議論することは、理解を相当助けてくれる。

さて、時は遡り読書会で読む本を決めるという段階で、参加者の一人が『さまよえる近代』の名前をあげたのであったが、その時に私が考えていたことは「「さまよえるユダヤ人」みたいな本があったような気がするなぁ」ということであった。

 試みに「さまよえる」で検索してみると、多くの「さまよえる」作品群を人類は生み出していることがわかった。ちなみに、最初に検索でヒットしたのは『さまよえるオランダ人』である。これはワーグナー作曲のオペラで、北欧の幽霊船伝説を下敷きにした作品らしい。この伝説とは、とある船が船員の神に対する冒涜行為によって、世界の終りまで海上を彷徨い続ける運命を背負うことになったというものだ。

 さて、オランダ人はさまよっていたようだが、ユダヤ人はどうか。私の朧げな記憶通り、ちゃんと『さまよえるユダヤ人』という作品も存在していた。こちらは小説である。ウージェーヌ・シュー作のこの作品はフランスのとある新聞において1844年から1845年まで連載されていた小説であるらしい。私の手元にある角川文庫の小林龍雄訳『さまよえる猶太人』[ii]のあとがきによると、当時のフランスでは丁度新聞紙上に連載小説が載せられ始めた時期であり、この作品は大変な評判だったということだ。「『モンテ=クリスト』とともに、フランス大衆小説の雙壁と稱せられるもの[iii]とまで書かれているのだから、大変な知名度を誇っていたのだろう。

 さて、この「さまよえるユダヤ人」であるが、さまよえるオランダ人と同様に元ネタになった伝説があるようだ。これはヨーロッパに広く膾炙するもので、キリストに関連するものらしい。その伝説というのは、処刑場へ曳かれていくキリストを侮辱したあるユダヤ人が呪いを受けるというものだ。その呪いは、世界の終末まで彼はさまよい続けなければならないというもの。さまよえるオランダ人伝説も永遠に海上を彷徨うという宿命を背負っていたことを思えば、永遠の命というものはキリスト教圏においては一種の罰であるのかもしれない。

 さて、さまよえるユダヤ人伝説に関しては適当な百科事典の類を引いていただければ、どんな伝説なのかはある程度了解できるのだが、この伝説に関しては芥川龍之介が短い文章を遺している[iv]。芥川といえばいわゆる「切支丹物」と呼ばれている作品群があるように、キリスト教に対してそれなりの思い入れがあった作家である。ちなみに私は芥川の「切支丹物」の中では「南京の基督」という作品が好きだ。救済は無く、世界は少女に対して残酷だ。

 閑話休題。さて芥川の「さまよえる猶太人」は、ユダヤ人伝説の概要がわかりやすくまとめてあると同時に、それに対する作家の疑問と、その解答が記されている。文章の筋とは関係ない話であるが芥川の文章を読むと、改めて彼の読書量と探求心に驚かされる。彼だけではない。明治、大正、そして昭和と、文豪や文筆家と呼ばれる人々は皆読書家であった。

「基督教国にはどこにでも、「さまよえる猶太人」の伝説が残っている。(中略)古来これを題材にした、芸術上の作品も沢山ある」[v]と語る芥川はその例としてギュスターヴ・ドレの絵画や、マシュー・ルイズやウィリアム・シャアプの作品を挙げている。そして、もちろん上述したウージェーヌ・シューの名前も記されている。

芥川が「さまよえるユダヤ人」伝説に感じた疑問は2つある。1つは、「「さまよえる猶太人」は、ほとんどあらゆる基督教国に、姿を現した。それなら、彼は日本にも渡来した事がありはしないか」[vi]というものであった。16世紀に日本に伝来したとされるキリスト教[vii]は、豊臣秀吉の「伴天連追放令」から緩やかに始まり江戸幕府によって過酷なものとなった迫害までは一定数の信者を獲得していた。芥川は「ユダヤ人」が「東方」(ここでは中東地域を指しているが)にも姿を現した話が載っている文献を示し、「大名と呼ばれた封建時代の貴族たちが、黄金の十字架を胸に懸けて、パアテル・ノステル[viii]を口にした日本を、(中略)彼が訪れなかったと云う筈はない」[ix]とする。

 彼の2つ目の疑問はキリストが十字架にかけられた際、彼に非礼を行った者はこのユダヤ人だけではないにもかかわらず、「何故、彼ひとりクリストの呪いを負ったのであろう」というものである。

さて、この2つの疑問に答えてくれる古文書を手に入れることに成功したというのであるから、芥川の情熱には舌を巻かざるをえない。ユダヤ人伝説に関する記録は「両肥及び平戸天草の諸島を遍歴して、古文書の蒐集に従事した結果、偶然手に入れた文禄年間の」[x]資料[xi]の中に存在していたという。

彼が抱いた第一の疑問は件の「ユダヤ人」は日本にも渡来していたことを示す記述によって解消される。文献には平戸から九州の本土へと渡る船の中でフランシス・ザヴィエルと邂逅していたことが記されていた。「もし筆者の言をそのまま信用すれば「ふらんしす上人さまよえるゆだやびとと問答の事」は、当時の天主教間に有名な物語の一つとして、しばしば説教の材料にもなったらしい」[xii]と芥川は書いている。

第二の疑問は、このザヴィエルとユダヤ人の問答から解答が示される。それは端的に表すならば、このユダヤ人は自分の罪を罪として認識したために罰を受けたということであるようだ。彼の古文書には次のように記されていたという。「えるされむは広しと云え、御主を辱めた罪を知っているものは、それがしひとりでござろう。罪を知ればこそ、呪いもかかったのでござる。罪を罪とも思わぬものに、天の罰が下ろうようはござらぬ。(中略)罪を罪と知る者には、総じて罰と贖いとが、ひとつに天から下るものでござる。」[xiii]

最後に芥川はベリンググッド[xiv]が唱えたという、聖書における「ユダヤ人」伝説の起源となる箇所を示し、文章を終えている。さて、私はこれを読み、わくわくしながら聖書の該当ページを開いてみた。伝説の元となったキリストとユダヤ人との一幕が描写されているに違いないと思ったのである。しかし、開かれたページにあったのは次のような予言めいた言葉だけであった。

「はっきりと言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」[xv]

「はっきりと言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。」[xvi]

 「予言めいた」と上述したが、正確に言えばこれは予言のシーンである。エルサレムにおける死と復活をイエスが弟子たちに予言する場面での言葉であるからだ。正直なところ私が期待したのは伝説になったユダヤ人が実際にキリストに対して非礼を働くシーンであったので少し拍子抜けしてしまった。この予言に示された世界に神の国が現前するまで死なない者の存在という点に関しては、さまよえるユダヤ人伝説の重要な要素ではあるかもしれない。しかし、この文言だけで「さまよえるユダヤ人」伝説の起源と成すとは、べリンググッド氏も想像力逞しい御方である。ちなみに私の記憶が正しければ、『聖書』の中にこのユダヤ人が非礼を行う具体的なシーンはない。それはさておきベリンググッド氏。君は一体誰なのか。今一番私が気になっているのはそこである。

 アパデュライの『さまよえる近代』から、芥川の「さまよえる猶太人」まで、随分遠いところまできてしまった。そんな私はさしずめ、さまよえる文筆家である。芥川のおかげで理解が進んだ「さまよえるユダヤ人伝説」。次はシューの『さまよえるユダヤ人』でも読んでみようかしらん。


[i] アルジュン・アパデュライ『さまよえる近代』門田健一訳、平凡社、2004年。

[ii] ウージェーヌ・シュー『さまよえるユダヤ人(上)(下)』小林龍雄訳、角川書店(角川文庫)、1951年。

[iii] 同上書上巻、362頁。

[iv] 芥川龍之介「さまよえる猶太人」、青空文庫。初出は「新潮」、19176月。

[v] 同上

[vi] 同上

[vii] 芥川龍之介「さまよえる猶太人」では「十四世紀の後半において、日本の南西部は、大抵天主教を奉じていた。」と書かれているが、キリスト教の日本伝来の時期に関しては諸説あるようなので一概に芥川の文章が間違いであるとは言いきれない。一般的な説では1549年に伝来したとされているため、本文章ではこの説をとった。

[viii] ラテン語で「我らが父よ」の意。祈りの言葉。

[ix] 芥川龍之介「さまよえる猶太人」、青空文庫。

[x] 同上

[xi] 原文では「文禄年間のMSS.」。これは英語のMS.=manuscript(手稿、写本)を示していると考えられる。

[xii] 芥川龍之介「さまよえる猶太人」

[xiii] 同上

[xiv] 筆者寡聞にて、該当する人物を探し当てることができなかった。無念である。

[xv] 「マタイによる福音書」、1628節、『聖書』、日本聖書協会、2012

[xvi] 「マルコによる福音書」、91節、『聖書』、日本聖書協会、2012