私は音楽の素養がないので、ジャズについても全くの門外漢である。しかし、ロシアに愛着があることもあって、本屋でロシア(ソ連も含め)に関する本があると分野がどうであろうと足を止めてしまうのだ。
岡島豊樹『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』[i]は著者が収集した「メロディア社」のジャズLPをまとめ、その一つ一つにコメントを添えた、ソ連ジャズLPの図鑑とも呼べるものである。多くの文献や資料を収集したことが読んでいてすぐにわかるような本に目がない私は、ジャズを殆ど聞いたことがないにも関わらずこの本を衝動買いしてしまった。
「メロディア社」はソビエト社会主義共和国連邦で1964年に発足した国営レコード会社であり、この会社から出たジャズLPは400種類にも上るそうだ。この本は著者が収集した300余点のLPが「アンソロジー」「ジャズ祭」「個人・グループ」といった視点で分類されている。ちなみにソ連ジャズ文化研究に関しては鈴木正美氏という第一人者がおられるそうだ。私は早速、この本で紹介されていた鈴木正美『ロシア・ジャズ 寒い国の熱い音楽』を手に入れるべく、インターネットで検索をかけたのであった。
結論から言うと、この本は手に入らなかった。値段が恐ろしく跳ね上がっている。どうしてだろうと首をひねる間もなく私はその理由に気づいた。この本は「ユーラシア・ブックレット」シリーズだったのである。ユーラシア・ブックレットとは東洋書店が2000年から出版していた書籍であり、主にロシア関連の研究を収めていた。2016年に発行元の東洋書店が倒産[ii]したため、このシリーズを始め、東洋書店の本は軒並み価格が上がっているのである。
というわけで、とりあえずアクセスできる範囲で鈴木正美氏の論文などを読んでいた私。「1960年代のジャズ・フェスティバルと聴衆」[iii]という文章のなかで、面白いものを発見してしまった。それは「肋骨レコード」という。
さて、「肋骨レコード」の話に入る前にソ連におけるジャズの歩みを簡単に説明する必要がある。ここで重要なのはソ連でジャズが認知され始めた1920年代からジャズが弾圧された1950年代までだ。
『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』によれば、ソ連でジャズが広まったのは第一次世界大戦後、新経済政策(ネップ)の施行と重なる。富裕層を中心にダンスが広がり、その際に世界的に広がりをみせていたジャズも取り入れられたという。[iv]このように最初ジャズはダンスのための音楽とされていた。その後1930年代から40年代にかけてはアメリカの大衆文化がソ連の人々を魅了する。ジャズだけに限らず映画もどんどん輸入され、人々へ吸収されていった。「ディズニーによる世界最初のフルカラーのアニメーション『白雪姫』(1936)もソ連で上映され、挿入歌はすぐさまジャズの流行歌となった」[v]とされるように、この時期は文化的にも比較的寛容な時期であったようだ。第二次世界大戦時には前線の兵士を鼓舞、慰安するために、ジャズも利用されていた。
しかし、第二次世界大戦後に状況は一転する。東西の対立が露わになるにつれ、ソ連国内ではコスモポリタニズム排斥運動が起こり、ジャズも「ブルジョワ的退廃の産物」として排斥された。この排斥は1950年代半ばまで続いた。「49年からスターリンが死去した53年の間はジャズと呼べるような録音はほとんどない。その後もしばらくの間は、わずかしかない。東西冷戦の長期化はジャズにとって足枷になってしまった」[vi]と岡島氏は指摘する。
さて、スターリンの死後徐々にソ連におけるジャズ文化は復活していくのであるが、「肋骨レコード」が出現するのは、主にスターリンの弾圧の時代、49年から50年だい半ばまでである。そういえば全く関係ない話で恐縮だが夢野久作に「人間レコード」という短編があったな、とふと思い出した。「肋骨レコード」は夢野久作の短編のように猟奇的なもの、ではないのでご安心を。
「肋骨レコード」とは、国家に禁止されていた音楽を聴くために一部の人々が編み出した手段であった。東西の冷戦が激化する中、アメリカの最新の音楽はソ連では手に入らなくなっていた。しかし人間、禁止されているものに魅力を感じる生き物なのである。LPレコードをそのまま輸入するわけにはいかないし、退廃的音楽のレコードを持ち歩いていることがばれればシベリア送りである。さて、どうするか。
第二次世界大戦中、ソ連軍はドイツ軍に向けて戦意を喪失させるようなメッセージや音楽を吹き込んだレコードを大量に作り、飛行機から撒いていたそうだ。その録音機の流出品を使い、薄いプラスチック板に西側の音楽をコピーして商売する者が現れたのである。当時、最も手に入りやすいプラスチック板はX写真フィルムであったため、それにレコードを複写したのであった。まさにスパイ映画のような世界。X写真フィルムに音楽が彫り込まれていようとは誰が思うだろうか。かくしてアンダーグラウンドでこの闇レコードが取引され、熱狂的な音楽の求道者たちは、その渇きを癒していたのであった。
「胸部のレントゲン写真はまさに肋骨レコードであった」[vii]と言われるように、これが名前の由来となっている。しかし、レントゲン写真は肋骨以外の写真もあるのではないかと思われる方もいるであろう。現に国内外で様々な呼び名があるらしいこの闇レコード。軽く検索した感覚で申し訳ないのだが、本場(?)のロシアだと、музыка на костях(骨の上の音楽)が一般的な名前のようだ。ちなみに日本では西野肇氏が生んだ呼称である「肋骨レコード」という名前が広く使用されているのだそうだ。彼は70年代から80年代にかけてモスクワ放送のアナウンサーとしてラジオDJを務めた人物である[viii]。
さて、この「肋骨レコード」であるが、スターリンの死後、文化的な引き締めが緩やかになっていくにつれ、その存在意義を薄くしていく。60年代に入ると国産のテープレコーダーも出現し、姿を消していったようだ。こうしてやっと1964年に辿り着く。ソ連で「メロディヤ社」が発足する。そうだった。初めに読んでいたのは『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』なのでした。
というわけで、最近の私はこの本に紹介されているジャズミュージックを聞いている。インターネットの時代は便利なもので、私が登録している音楽のサブスクリプションサービスで、ソ連時代のジャズミュージックも聞くことができるのである。幸福な時代である。しかし私が気づいていないだけで、現代においても肋骨に刻み、人目を忍び、やっと享受できる娯楽や芸術があるのかもしれない。飽くなき人間の好奇心、そして情熱。ロマン溢れる「肋骨レコード」を知れたことに感謝を。
[i] 岡島豊樹編『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』、カンパニー社、2021年
[ii] 現在ユーラシアブックレットシリーズの後継として群像社よりユーラシア文庫が出版されている。ただし、東洋書店が出版していた書籍の殆どは絶版状態。
[iii] 鈴木正美「1960年代のジャズ・フェスティバルと聴衆」、『スラブ・ユーラシア研究報告集1』、北海道大学スラブ研究センター、2008年、47-58頁。
[iv] 岡島豊樹編『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』、カンパニー社、2021年、8頁。
[v] 鈴木正美「1960年代のジャズ・フェスティバルと聴衆」、48頁。
[vi] 『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』、9頁。
[vii] 「1960年代のジャズ・フェスティバルと聴衆」、50頁。
[viii]「【レコにまつわるエトセトラ】肋骨レコード
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音楽への渇きが刻む、美しき闇レコードの世界【第14回】」、my soundマガジン、https://mag.mysound.jp/post/601(2021年6月16日最終閲覧)