2021年6月16日水曜日

かくして人々は骨に音楽を刻んだ。

 

 私は音楽の素養がないので、ジャズについても全くの門外漢である。しかし、ロシアに愛着があることもあって、本屋でロシア(ソ連も含め)に関する本があると分野がどうであろうと足を止めてしまうのだ。

 岡島豊樹『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』[i]は著者が収集した「メロディア社」のジャズLPをまとめ、その一つ一つにコメントを添えた、ソ連ジャズLPの図鑑とも呼べるものである。多くの文献や資料を収集したことが読んでいてすぐにわかるような本に目がない私は、ジャズを殆ど聞いたことがないにも関わらずこの本を衝動買いしてしまった。

 「メロディア社」はソビエト社会主義共和国連邦で1964年に発足した国営レコード会社であり、この会社から出たジャズLP400種類にも上るそうだ。この本は著者が収集した300余点のLPが「アンソロジー」「ジャズ祭」「個人・グループ」といった視点で分類されている。ちなみにソ連ジャズ文化研究に関しては鈴木正美氏という第一人者がおられるそうだ。私は早速、この本で紹介されていた鈴木正美『ロシア・ジャズ 寒い国の熱い音楽』を手に入れるべく、インターネットで検索をかけたのであった。

 結論から言うと、この本は手に入らなかった。値段が恐ろしく跳ね上がっている。どうしてだろうと首をひねる間もなく私はその理由に気づいた。この本は「ユーラシア・ブックレット」シリーズだったのである。ユーラシア・ブックレットとは東洋書店が2000年から出版していた書籍であり、主にロシア関連の研究を収めていた。2016年に発行元の東洋書店が倒産[ii]したため、このシリーズを始め、東洋書店の本は軒並み価格が上がっているのである。

 というわけで、とりあえずアクセスできる範囲で鈴木正美氏の論文などを読んでいた私。「1960年代のジャズ・フェスティバルと聴衆」[iii]という文章のなかで、面白いものを発見してしまった。それは「肋骨レコード」という。

 さて、「肋骨レコード」の話に入る前にソ連におけるジャズの歩みを簡単に説明する必要がある。ここで重要なのはソ連でジャズが認知され始めた1920年代からジャズが弾圧された1950年代までだ。

 『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』によれば、ソ連でジャズが広まったのは第一次世界大戦後、新経済政策(ネップ)の施行と重なる。富裕層を中心にダンスが広がり、その際に世界的に広がりをみせていたジャズも取り入れられたという。[iv]このように最初ジャズはダンスのための音楽とされていた。その後1930年代から40年代にかけてはアメリカの大衆文化がソ連の人々を魅了する。ジャズだけに限らず映画もどんどん輸入され、人々へ吸収されていった。「ディズニーによる世界最初のフルカラーのアニメーション『白雪姫』(1936)もソ連で上映され、挿入歌はすぐさまジャズの流行歌となった」[v]とされるように、この時期は文化的にも比較的寛容な時期であったようだ。第二次世界大戦時には前線の兵士を鼓舞、慰安するために、ジャズも利用されていた。

 しかし、第二次世界大戦後に状況は一転する。東西の対立が露わになるにつれ、ソ連国内ではコスモポリタニズム排斥運動が起こり、ジャズも「ブルジョワ的退廃の産物」として排斥された。この排斥は1950年代半ばまで続いた。「49年からスターリンが死去した53年の間はジャズと呼べるような録音はほとんどない。その後もしばらくの間は、わずかしかない。東西冷戦の長期化はジャズにとって足枷になってしまった」[vi]と岡島氏は指摘する。

 さて、スターリンの死後徐々にソ連におけるジャズ文化は復活していくのであるが、「肋骨レコード」が出現するのは、主にスターリンの弾圧の時代、49年から50年だい半ばまでである。そういえば全く関係ない話で恐縮だが夢野久作に「人間レコード」という短編があったな、とふと思い出した。「肋骨レコード」は夢野久作の短編のように猟奇的なもの、ではないのでご安心を。

 「肋骨レコード」とは、国家に禁止されていた音楽を聴くために一部の人々が編み出した手段であった。東西の冷戦が激化する中、アメリカの最新の音楽はソ連では手に入らなくなっていた。しかし人間、禁止されているものに魅力を感じる生き物なのである。LPレコードをそのまま輸入するわけにはいかないし、退廃的音楽のレコードを持ち歩いていることがばれればシベリア送りである。さて、どうするか。

 第二次世界大戦中、ソ連軍はドイツ軍に向けて戦意を喪失させるようなメッセージや音楽を吹き込んだレコードを大量に作り、飛行機から撒いていたそうだ。その録音機の流出品を使い、薄いプラスチック板に西側の音楽をコピーして商売する者が現れたのである。当時、最も手に入りやすいプラスチック板はX写真フィルムであったため、それにレコードを複写したのであった。まさにスパイ映画のような世界。X写真フィルムに音楽が彫り込まれていようとは誰が思うだろうか。かくしてアンダーグラウンドでこの闇レコードが取引され、熱狂的な音楽の求道者たちは、その渇きを癒していたのであった。

 「胸部のレントゲン写真はまさに肋骨レコードであった」[vii]と言われるように、これが名前の由来となっている。しかし、レントゲン写真は肋骨以外の写真もあるのではないかと思われる方もいるであろう。現に国内外で様々な呼び名があるらしいこの闇レコード。軽く検索した感覚で申し訳ないのだが、本場(?)のロシアだと、музыка на костях(骨の上の音楽)が一般的な名前のようだ。ちなみに日本では西野肇氏が生んだ呼称である「肋骨レコード」という名前が広く使用されているのだそうだ。彼は70年代から80年代にかけてモスクワ放送のアナウンサーとしてラジオDJを務めた人物である[viii]

 さて、この「肋骨レコード」であるが、スターリンの死後、文化的な引き締めが緩やかになっていくにつれ、その存在意義を薄くしていく。60年代に入ると国産のテープレコーダーも出現し、姿を消していったようだ。こうしてやっと1964年に辿り着く。ソ連で「メロディヤ社」が発足する。そうだった。初めに読んでいたのは『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』なのでした。

 というわけで、最近の私はこの本に紹介されているジャズミュージックを聞いている。インターネットの時代は便利なもので、私が登録している音楽のサブスクリプションサービスで、ソ連時代のジャズミュージックも聞くことができるのである。幸福な時代である。しかし私が気づいていないだけで、現代においても肋骨に刻み、人目を忍び、やっと享受できる娯楽や芸術があるのかもしれない。飽くなき人間の好奇心、そして情熱。ロマン溢れる「肋骨レコード」を知れたことに感謝を。



[i] 岡島豊樹編『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』、カンパニー社、2021

[ii] 現在ユーラシアブックレットシリーズの後継として群像社よりユーラシア文庫が出版されている。ただし、東洋書店が出版していた書籍の殆どは絶版状態。

[iii] 鈴木正美「1960年代のジャズ・フェスティバルと聴衆」、『スラブ・ユーラシア研究報告集1』、北海道大学スラブ研究センター、2008年、4758頁。

[iv] 岡島豊樹編『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』、カンパニー社、2021年、8頁。

[v] 鈴木正美「1960年代のジャズ・フェスティバルと聴衆」、48頁。

[vi] 『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』、9頁。

[vii] 1960年代のジャズ・フェスティバルと聴衆」、50頁。

[viii]「【レコにまつわるエトセトラ】肋骨レコード 音楽への渇きが刻む、美しき闇レコードの世界【第14回】」、my soundマガジン、https://mag.mysound.jp/post/6012021616日最終閲覧)

2021年6月12日土曜日

アルジュン・アパデュライ『さまよえる近代』から芥川龍之介「さまよえる猶太人」まで。

 

 同じ研究室にいた仲間で集まって読書会をやっている。今はコロナ禍ということで、オンラインで行っている。2週間に1回くらいのペースで、1回にかける時間は2時間程度。アルジュン・アパデュライの『さまよえる近代』[i]を読んでいる。ペースはとてものんびりしていて、理解できないところがあるところは惜しげなく時間を使う。同じ本を複数人で読むのはとてもいい刺激になる。特にわからない部分に関して議論することは、理解を相当助けてくれる。

さて、時は遡り読書会で読む本を決めるという段階で、参加者の一人が『さまよえる近代』の名前をあげたのであったが、その時に私が考えていたことは「「さまよえるユダヤ人」みたいな本があったような気がするなぁ」ということであった。

 試みに「さまよえる」で検索してみると、多くの「さまよえる」作品群を人類は生み出していることがわかった。ちなみに、最初に検索でヒットしたのは『さまよえるオランダ人』である。これはワーグナー作曲のオペラで、北欧の幽霊船伝説を下敷きにした作品らしい。この伝説とは、とある船が船員の神に対する冒涜行為によって、世界の終りまで海上を彷徨い続ける運命を背負うことになったというものだ。

 さて、オランダ人はさまよっていたようだが、ユダヤ人はどうか。私の朧げな記憶通り、ちゃんと『さまよえるユダヤ人』という作品も存在していた。こちらは小説である。ウージェーヌ・シュー作のこの作品はフランスのとある新聞において1844年から1845年まで連載されていた小説であるらしい。私の手元にある角川文庫の小林龍雄訳『さまよえる猶太人』[ii]のあとがきによると、当時のフランスでは丁度新聞紙上に連載小説が載せられ始めた時期であり、この作品は大変な評判だったということだ。「『モンテ=クリスト』とともに、フランス大衆小説の雙壁と稱せられるもの[iii]とまで書かれているのだから、大変な知名度を誇っていたのだろう。

 さて、この「さまよえるユダヤ人」であるが、さまよえるオランダ人と同様に元ネタになった伝説があるようだ。これはヨーロッパに広く膾炙するもので、キリストに関連するものらしい。その伝説というのは、処刑場へ曳かれていくキリストを侮辱したあるユダヤ人が呪いを受けるというものだ。その呪いは、世界の終末まで彼はさまよい続けなければならないというもの。さまよえるオランダ人伝説も永遠に海上を彷徨うという宿命を背負っていたことを思えば、永遠の命というものはキリスト教圏においては一種の罰であるのかもしれない。

 さて、さまよえるユダヤ人伝説に関しては適当な百科事典の類を引いていただければ、どんな伝説なのかはある程度了解できるのだが、この伝説に関しては芥川龍之介が短い文章を遺している[iv]。芥川といえばいわゆる「切支丹物」と呼ばれている作品群があるように、キリスト教に対してそれなりの思い入れがあった作家である。ちなみに私は芥川の「切支丹物」の中では「南京の基督」という作品が好きだ。救済は無く、世界は少女に対して残酷だ。

 閑話休題。さて芥川の「さまよえる猶太人」は、ユダヤ人伝説の概要がわかりやすくまとめてあると同時に、それに対する作家の疑問と、その解答が記されている。文章の筋とは関係ない話であるが芥川の文章を読むと、改めて彼の読書量と探求心に驚かされる。彼だけではない。明治、大正、そして昭和と、文豪や文筆家と呼ばれる人々は皆読書家であった。

「基督教国にはどこにでも、「さまよえる猶太人」の伝説が残っている。(中略)古来これを題材にした、芸術上の作品も沢山ある」[v]と語る芥川はその例としてギュスターヴ・ドレの絵画や、マシュー・ルイズやウィリアム・シャアプの作品を挙げている。そして、もちろん上述したウージェーヌ・シューの名前も記されている。

芥川が「さまよえるユダヤ人」伝説に感じた疑問は2つある。1つは、「「さまよえる猶太人」は、ほとんどあらゆる基督教国に、姿を現した。それなら、彼は日本にも渡来した事がありはしないか」[vi]というものであった。16世紀に日本に伝来したとされるキリスト教[vii]は、豊臣秀吉の「伴天連追放令」から緩やかに始まり江戸幕府によって過酷なものとなった迫害までは一定数の信者を獲得していた。芥川は「ユダヤ人」が「東方」(ここでは中東地域を指しているが)にも姿を現した話が載っている文献を示し、「大名と呼ばれた封建時代の貴族たちが、黄金の十字架を胸に懸けて、パアテル・ノステル[viii]を口にした日本を、(中略)彼が訪れなかったと云う筈はない」[ix]とする。

 彼の2つ目の疑問はキリストが十字架にかけられた際、彼に非礼を行った者はこのユダヤ人だけではないにもかかわらず、「何故、彼ひとりクリストの呪いを負ったのであろう」というものである。

さて、この2つの疑問に答えてくれる古文書を手に入れることに成功したというのであるから、芥川の情熱には舌を巻かざるをえない。ユダヤ人伝説に関する記録は「両肥及び平戸天草の諸島を遍歴して、古文書の蒐集に従事した結果、偶然手に入れた文禄年間の」[x]資料[xi]の中に存在していたという。

彼が抱いた第一の疑問は件の「ユダヤ人」は日本にも渡来していたことを示す記述によって解消される。文献には平戸から九州の本土へと渡る船の中でフランシス・ザヴィエルと邂逅していたことが記されていた。「もし筆者の言をそのまま信用すれば「ふらんしす上人さまよえるゆだやびとと問答の事」は、当時の天主教間に有名な物語の一つとして、しばしば説教の材料にもなったらしい」[xii]と芥川は書いている。

第二の疑問は、このザヴィエルとユダヤ人の問答から解答が示される。それは端的に表すならば、このユダヤ人は自分の罪を罪として認識したために罰を受けたということであるようだ。彼の古文書には次のように記されていたという。「えるされむは広しと云え、御主を辱めた罪を知っているものは、それがしひとりでござろう。罪を知ればこそ、呪いもかかったのでござる。罪を罪とも思わぬものに、天の罰が下ろうようはござらぬ。(中略)罪を罪と知る者には、総じて罰と贖いとが、ひとつに天から下るものでござる。」[xiii]

最後に芥川はベリンググッド[xiv]が唱えたという、聖書における「ユダヤ人」伝説の起源となる箇所を示し、文章を終えている。さて、私はこれを読み、わくわくしながら聖書の該当ページを開いてみた。伝説の元となったキリストとユダヤ人との一幕が描写されているに違いないと思ったのである。しかし、開かれたページにあったのは次のような予言めいた言葉だけであった。

「はっきりと言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」[xv]

「はっきりと言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。」[xvi]

 「予言めいた」と上述したが、正確に言えばこれは予言のシーンである。エルサレムにおける死と復活をイエスが弟子たちに予言する場面での言葉であるからだ。正直なところ私が期待したのは伝説になったユダヤ人が実際にキリストに対して非礼を働くシーンであったので少し拍子抜けしてしまった。この予言に示された世界に神の国が現前するまで死なない者の存在という点に関しては、さまよえるユダヤ人伝説の重要な要素ではあるかもしれない。しかし、この文言だけで「さまよえるユダヤ人」伝説の起源と成すとは、べリンググッド氏も想像力逞しい御方である。ちなみに私の記憶が正しければ、『聖書』の中にこのユダヤ人が非礼を行う具体的なシーンはない。それはさておきベリンググッド氏。君は一体誰なのか。今一番私が気になっているのはそこである。

 アパデュライの『さまよえる近代』から、芥川の「さまよえる猶太人」まで、随分遠いところまできてしまった。そんな私はさしずめ、さまよえる文筆家である。芥川のおかげで理解が進んだ「さまよえるユダヤ人伝説」。次はシューの『さまよえるユダヤ人』でも読んでみようかしらん。


[i] アルジュン・アパデュライ『さまよえる近代』門田健一訳、平凡社、2004年。

[ii] ウージェーヌ・シュー『さまよえるユダヤ人(上)(下)』小林龍雄訳、角川書店(角川文庫)、1951年。

[iii] 同上書上巻、362頁。

[iv] 芥川龍之介「さまよえる猶太人」、青空文庫。初出は「新潮」、19176月。

[v] 同上

[vi] 同上

[vii] 芥川龍之介「さまよえる猶太人」では「十四世紀の後半において、日本の南西部は、大抵天主教を奉じていた。」と書かれているが、キリスト教の日本伝来の時期に関しては諸説あるようなので一概に芥川の文章が間違いであるとは言いきれない。一般的な説では1549年に伝来したとされているため、本文章ではこの説をとった。

[viii] ラテン語で「我らが父よ」の意。祈りの言葉。

[ix] 芥川龍之介「さまよえる猶太人」、青空文庫。

[x] 同上

[xi] 原文では「文禄年間のMSS.」。これは英語のMS.=manuscript(手稿、写本)を示していると考えられる。

[xii] 芥川龍之介「さまよえる猶太人」

[xiii] 同上

[xiv] 筆者寡聞にて、該当する人物を探し当てることができなかった。無念である。

[xv] 「マタイによる福音書」、1628節、『聖書』、日本聖書協会、2012

[xvi] 「マルコによる福音書」、91節、『聖書』、日本聖書協会、2012

2021年5月14日金曜日

そうだっ!漫画を描こう!(1)

  皆さん朝起きて一番最初にすることはなんですか?私は携帯でニコニコ静画を開き、お気に入り登録をしている漫画が更新されているかどうかをチェックします。更新されていたら、ラッキーデイ。今日一日何かいいことが起こりそうな予感を感じます。そして、読みます。顔を洗うよりも、歯を磨くよりも、朝ごはんを食べるよりも早く。

 更新されていなかったら?ノーマルデイ。今日一日無事平穏に暮らせる予感を感じます。そして、昨日読んだ回を読みます。そして、身体を起こし、洗面所に向かいます。気力充実、本日も快晴なり。寝ぐせは放埓、本日もエネルギッシュです。

 さて、何の話かと言うと、私は漫画が好きだという話。普通の人よりは読んでいるのではなかろうか。「小説とどっちが好き?」と聞かれたら、「うーん。どっちも?」と答えるだろうけど。手軽に読める分、量的には漫画の方をたくさん読んでいると思うのです。こんなこと比べる必要があるのかどうかわかりませんが。(たぶんないでしょう。)

 というわけで、今日も今日とて寝起き一発目は漫画を読んでいた私。今日は金曜日ではありますが労働がお休みだったので、漫画の時間をいつもより長めに取りました。そんな漫画の時間にふと思い出したのは、ずいぶん前に知人と会った時に「小学校の頃、漫画描いてたじゃん?あれまだ保管してるの?」という言葉そしてその場面。漫画を描いていた?私が?というわけで、記憶をたどってみると、確かに描いていた記憶があります。ジャポニカの自由帳に描いていた落書きみたいな漫画です。現物が手元にないので、見返すことはできないけれど、今見たら恥ずかしくなるような画力とクオリティ、話の筋は支離滅裂、漫画の文法も破りまくりな言わば「黒歴史」的なものなのではなかろうか。

 さてその知人と会った次の日、私は本屋で川崎昌平『労働者のための漫画の描き方教室』という本を買って読んだのでした。なぜ?小学校の頃の記憶をたどってみると、拙い作品ではあったけど、やはり描いている時は楽しかったように思い出されたからです。また、機会があれば描いてみよう。でも、どうやって始めたらいいかわからない。というわけで、ハウツー本のようなものを読んでみようと思ったのでした。

 回想終わり。さて、そんなことを思い出した私は「今日こそその時だ!」と一念発起したわけです。丁度休日だし良い機会です。漫画を描いてみよう!イラストは下手だけど。みんな最初は下手だからね。うん。

 残念ながら『労働者のための漫画の描き方講座』は引っ越しの時に祖母の家に置いてきてしまったので、手元にはないけれど内容は朧げに覚えています。とりあえず具体的に使えそうなこととして1つ覚えているのは。

・できるだけ簡単に描けるキャラクターで描くこと。

時間の無い労働者が漫画を描き続けるためには凝った絵だと長く続かないという理由だったように思います。(本当に朧気だ。)というわけで、妹から液晶タブレットをパクってきた私はクリップスタジオというソフト(有料)をインストールし、なんとかキャラクターを描いてみました。 

 

これくらいデフォルメしておけば、それなりに誤魔化しも効くし、そこまで時間をかけずに描けるのでは?などと甘い考え。(今回はキャラクター設定ということでカラーです。)

 さて、なぜ女の子かというと、おじさんを描くより楽しいかなと思ったからなのでした。まぁ、でも拙い絵ではあるけれど、それなりに見てはいられるようなものなのではないかしらん?とりあえず、目を覆うほどひどい出来ではないのではないかと思っています。さぁ!この女の子を主人公に漫画を描いていこうではないか!しかし、今日はこのキャラクターを生み出すために時間をかけすぎてしまったので、続きはまた次回といたしましょう。(続くのか?)

2021年5月3日月曜日

人類撲滅POPについて(2)

  「明日へ続く。」とは一体何だったのか。続きの文章が書かれたのは数日後であった。しかも人類撲滅POPに関する謎は深まるばかり。私に続くな。読者よ。

 私に続くな。読者よ。古本屋のPOPには何が書かれていたのか。人類への恨みつらみであろうか。絶えざる欲望を回転させ続けるホモ・サピエンスへの警告であろうか。隣人への個人的な憎悪であろうか。残念ながら、いずれでもない。それはいたって普通の書籍紹介POPであった。

「何故?しゃべるクマはいつも余計な騒ぎを引き起こすのか?異国のクマはみんなアホだ。日本の熊はしゃべらないけれども利口である。山を下りろ。人間を喰らえ。」(『くまのパディントン』)

「謎の少女ととりわけ仲がいいのはおっさん2人。そこはかとなく犯罪の臭いがします。しかし、読者の期待を裏切り、別の方角から罪は犯される。時間泥棒だ!許せない!しかし、よく考えて頂きたい、あなたは無為に人生を浪費してはいませんか?盗んでもらった方があなたの時間も幸せかもしれませんよ?」(『モモ』)

「飛べ!天高く!少年よ神話になれ!」(『かもめのジョナサン』)

 私が覚えている限りでおおよそこのようなPOPが貼りだされていたように記憶している。今こうやって文章化してみると、感受性の強い少年が読むべきPOPではないように感じられる。真面目な話、こんな本屋に純粋無垢な少年が入るべきではないのだ。少年少女は皆そこで人生を狂わされていった。

 このPTAに怒られそうなPOPを作成した張本人であるお姉さんはいつものようにカウンターの中で文庫本に没頭していた。(余談だが私は彼女に筒井康隆の「くたばれPTA」をお勧めされたことがある。)

 私は店内に散在する色とりどりのPOPを指さしながら、あれは何かと聞いた。お姉さんは文庫本から目を上げると、(その本は確かマルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』だったと記憶している)「本を紹介するために最近書いてるんだ。君も書く?」と答えたのである。私は「書かない」と答えた。

「人類撲滅POPを書くのが目標なんだ。」

「人類撲滅POP?」

「読んだ人類が自殺したり怪死したりする紹介文のこと。」

 こんな問答があった。私は自分から質問したくせして話半分に聞いていた。彼女はいつだって適当なことばかり言っていたからだ。

 さて、幸運なことに(あるいは不幸なことに)、「人類撲滅POP」は完成しなかった。少なくとも、私が大学に入る前までには完成を見なかった。私が自殺も怪死もせずにこの文章を書いていることがその証明だ。古本屋は私が高校を卒業した一か月後に閉店した。店主であったお姉さんがいまどこで何をしているのか私は知らない。