「明日へ続く。」とは一体何だったのか。続きの文章が書かれたのは数日後であった。しかも人類撲滅POPに関する謎は深まるばかり。私に続くな。読者よ。
私に続くな。読者よ。古本屋のPOPには何が書かれていたのか。人類への恨みつらみであろうか。絶えざる欲望を回転させ続けるホモ・サピエンスへの警告であろうか。隣人への個人的な憎悪であろうか。残念ながら、いずれでもない。それはいたって普通の書籍紹介POPであった。
「何故?しゃべるクマはいつも余計な騒ぎを引き起こすのか?異国のクマはみんなアホだ。日本の熊はしゃべらないけれども利口である。山を下りろ。人間を喰らえ。」(『くまのパディントン』)
「謎の少女ととりわけ仲がいいのはおっさん2人。そこはかとなく犯罪の臭いがします。しかし、読者の期待を裏切り、別の方角から罪は犯される。時間泥棒だ!許せない!しかし、よく考えて頂きたい、あなたは無為に人生を浪費してはいませんか?盗んでもらった方があなたの時間も幸せかもしれませんよ?」(『モモ』)
「飛べ!天高く!少年よ神話になれ!」(『かもめのジョナサン』)
私が覚えている限りでおおよそこのようなPOPが貼りだされていたように記憶している。今こうやって文章化してみると、感受性の強い少年が読むべきPOPではないように感じられる。真面目な話、こんな本屋に純粋無垢な少年が入るべきではないのだ。少年少女は皆そこで人生を狂わされていった。
このPTAに怒られそうなPOPを作成した張本人であるお姉さんはいつものようにカウンターの中で文庫本に没頭していた。(余談だが私は彼女に筒井康隆の「くたばれPTA」をお勧めされたことがある。)
私は店内に散在する色とりどりのPOPを指さしながら、あれは何かと聞いた。お姉さんは文庫本から目を上げると、(その本は確かマルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』だったと記憶している)「本を紹介するために最近書いてるんだ。君も書く?」と答えたのである。私は「書かない」と答えた。
「人類撲滅POPを書くのが目標なんだ。」
「人類撲滅POP?」
「読んだ人類が自殺したり怪死したりする紹介文のこと。」
こんな問答があった。私は自分から質問したくせして話半分に聞いていた。彼女はいつだって適当なことばかり言っていたからだ。
さて、幸運なことに(あるいは不幸なことに)、「人類撲滅POP」は完成しなかった。少なくとも、私が大学に入る前までには完成を見なかった。私が自殺も怪死もせずにこの文章を書いていることがその証明だ。古本屋は私が高校を卒業した一か月後に閉店した。店主であったお姉さんがいまどこで何をしているのか私は知らない。