2021年5月14日金曜日

そうだっ!漫画を描こう!(1)

  皆さん朝起きて一番最初にすることはなんですか?私は携帯でニコニコ静画を開き、お気に入り登録をしている漫画が更新されているかどうかをチェックします。更新されていたら、ラッキーデイ。今日一日何かいいことが起こりそうな予感を感じます。そして、読みます。顔を洗うよりも、歯を磨くよりも、朝ごはんを食べるよりも早く。

 更新されていなかったら?ノーマルデイ。今日一日無事平穏に暮らせる予感を感じます。そして、昨日読んだ回を読みます。そして、身体を起こし、洗面所に向かいます。気力充実、本日も快晴なり。寝ぐせは放埓、本日もエネルギッシュです。

 さて、何の話かと言うと、私は漫画が好きだという話。普通の人よりは読んでいるのではなかろうか。「小説とどっちが好き?」と聞かれたら、「うーん。どっちも?」と答えるだろうけど。手軽に読める分、量的には漫画の方をたくさん読んでいると思うのです。こんなこと比べる必要があるのかどうかわかりませんが。(たぶんないでしょう。)

 というわけで、今日も今日とて寝起き一発目は漫画を読んでいた私。今日は金曜日ではありますが労働がお休みだったので、漫画の時間をいつもより長めに取りました。そんな漫画の時間にふと思い出したのは、ずいぶん前に知人と会った時に「小学校の頃、漫画描いてたじゃん?あれまだ保管してるの?」という言葉そしてその場面。漫画を描いていた?私が?というわけで、記憶をたどってみると、確かに描いていた記憶があります。ジャポニカの自由帳に描いていた落書きみたいな漫画です。現物が手元にないので、見返すことはできないけれど、今見たら恥ずかしくなるような画力とクオリティ、話の筋は支離滅裂、漫画の文法も破りまくりな言わば「黒歴史」的なものなのではなかろうか。

 さてその知人と会った次の日、私は本屋で川崎昌平『労働者のための漫画の描き方教室』という本を買って読んだのでした。なぜ?小学校の頃の記憶をたどってみると、拙い作品ではあったけど、やはり描いている時は楽しかったように思い出されたからです。また、機会があれば描いてみよう。でも、どうやって始めたらいいかわからない。というわけで、ハウツー本のようなものを読んでみようと思ったのでした。

 回想終わり。さて、そんなことを思い出した私は「今日こそその時だ!」と一念発起したわけです。丁度休日だし良い機会です。漫画を描いてみよう!イラストは下手だけど。みんな最初は下手だからね。うん。

 残念ながら『労働者のための漫画の描き方講座』は引っ越しの時に祖母の家に置いてきてしまったので、手元にはないけれど内容は朧げに覚えています。とりあえず具体的に使えそうなこととして1つ覚えているのは。

・できるだけ簡単に描けるキャラクターで描くこと。

時間の無い労働者が漫画を描き続けるためには凝った絵だと長く続かないという理由だったように思います。(本当に朧気だ。)というわけで、妹から液晶タブレットをパクってきた私はクリップスタジオというソフト(有料)をインストールし、なんとかキャラクターを描いてみました。 

 

これくらいデフォルメしておけば、それなりに誤魔化しも効くし、そこまで時間をかけずに描けるのでは?などと甘い考え。(今回はキャラクター設定ということでカラーです。)

 さて、なぜ女の子かというと、おじさんを描くより楽しいかなと思ったからなのでした。まぁ、でも拙い絵ではあるけれど、それなりに見てはいられるようなものなのではないかしらん?とりあえず、目を覆うほどひどい出来ではないのではないかと思っています。さぁ!この女の子を主人公に漫画を描いていこうではないか!しかし、今日はこのキャラクターを生み出すために時間をかけすぎてしまったので、続きはまた次回といたしましょう。(続くのか?)

2021年5月3日月曜日

人類撲滅POPについて(2)

  「明日へ続く。」とは一体何だったのか。続きの文章が書かれたのは数日後であった。しかも人類撲滅POPに関する謎は深まるばかり。私に続くな。読者よ。

 私に続くな。読者よ。古本屋のPOPには何が書かれていたのか。人類への恨みつらみであろうか。絶えざる欲望を回転させ続けるホモ・サピエンスへの警告であろうか。隣人への個人的な憎悪であろうか。残念ながら、いずれでもない。それはいたって普通の書籍紹介POPであった。

「何故?しゃべるクマはいつも余計な騒ぎを引き起こすのか?異国のクマはみんなアホだ。日本の熊はしゃべらないけれども利口である。山を下りろ。人間を喰らえ。」(『くまのパディントン』)

「謎の少女ととりわけ仲がいいのはおっさん2人。そこはかとなく犯罪の臭いがします。しかし、読者の期待を裏切り、別の方角から罪は犯される。時間泥棒だ!許せない!しかし、よく考えて頂きたい、あなたは無為に人生を浪費してはいませんか?盗んでもらった方があなたの時間も幸せかもしれませんよ?」(『モモ』)

「飛べ!天高く!少年よ神話になれ!」(『かもめのジョナサン』)

 私が覚えている限りでおおよそこのようなPOPが貼りだされていたように記憶している。今こうやって文章化してみると、感受性の強い少年が読むべきPOPではないように感じられる。真面目な話、こんな本屋に純粋無垢な少年が入るべきではないのだ。少年少女は皆そこで人生を狂わされていった。

 このPTAに怒られそうなPOPを作成した張本人であるお姉さんはいつものようにカウンターの中で文庫本に没頭していた。(余談だが私は彼女に筒井康隆の「くたばれPTA」をお勧めされたことがある。)

 私は店内に散在する色とりどりのPOPを指さしながら、あれは何かと聞いた。お姉さんは文庫本から目を上げると、(その本は確かマルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』だったと記憶している)「本を紹介するために最近書いてるんだ。君も書く?」と答えたのである。私は「書かない」と答えた。

「人類撲滅POPを書くのが目標なんだ。」

「人類撲滅POP?」

「読んだ人類が自殺したり怪死したりする紹介文のこと。」

 こんな問答があった。私は自分から質問したくせして話半分に聞いていた。彼女はいつだって適当なことばかり言っていたからだ。

 さて、幸運なことに(あるいは不幸なことに)、「人類撲滅POP」は完成しなかった。少なくとも、私が大学に入る前までには完成を見なかった。私が自殺も怪死もせずにこの文章を書いていることがその証明だ。古本屋は私が高校を卒業した一か月後に閉店した。店主であったお姉さんがいまどこで何をしているのか私は知らない。