指を動かすことすらしんどく感じられる眠気をこらえながら「人類撲滅POP」について文章化することにどんな意味があるのだろうか。
おそらく意味なんてないだろう。時間の無駄である。明日の神聖なる労働に備えて一分一秒でも早く布団に入り、幸福な休息をとるべきなのである。それがこの人間社会に生きる一人の労働者としての「正しい」生き方だ。
しかし、一度走り出した指は止まらない。私は「人類撲滅POP」について書かなければならない。人類撲滅POPとは何ぞや?
人類撲滅POPとはその名の通り人類を撲滅する目的で書かれたPOP広告のことである。POP広告とはなんだろうか。POP広告とは我らがウィキペディア先生から引用(コピペ)すると「「Point of
purchase advertising」(購買時点広告)の頭文字から取った略語で、主に小売店の店頭プロモーションとして展開される広告媒体である」ということである。
みなさんも毎日目にしているであろうPOP広告。店に入れば必ずと言っていいほど商品棚に貼ってあるあれである。現代日本の人間社会で生活を送っていれば一日に一度は絶対に見るであろう(?)POP広告。店員さんが販売促進のために心血を注いで作るPOP広告。そこに人類撲滅の願いが込められていたらとても面白いと思いませんか?(私は思いませんね。)
人類撲滅POPという言葉は、正直に告白するならば私が作った言葉ではないのである。では、誰がこの言葉を作ったのか。それは私の少年期に実家の近くにあった古本屋のお姉さんが作った言葉なのである。彼女は父親から継いだ古本屋を楽しそうに切り盛りしていた。(ちなみにその古本屋は私が高校を卒業した年に閉店した。)
ある夏の日の事、私は漫画本を買うためにその古本屋へ入った。何度もそこで買い物をしていた私はすでにお姉さんとは顔見知りだった。その日、入店した私は店内の様子が前回の来店時とは違うことに気づいたのであった。名刺大の色付きの厚紙が商品棚のあちこちに貼ってある。近づいて見てみるとどうやら、本の紹介らしい。少し丸みを帯びた読みやすい字の手書きPOPである。私はわくわくしながら、そのPOP達を読み始めたのであった。
(指が止まってしまったので今日はここまで。明日へ続く。)